January 182010
木葉髪馬鹿は死ななきや直らねえ
金子兜太
好きだなあ、この句。若い頃には抜け毛など気にもかけないが、歳を重ねるうちに自然に気になるようになる。抜け毛にもだんだん若い日の勢いがなくなってくるので、まさに落ちてきた木の葉のごとしだ。見つめながら「オレもトシ取ったんだなあ」と嘆息の一つも漏れてこようというもの。しかし、この嘆息の落とし所は人さまざまである。草田男のように「木の葉髪文芸永く欺きぬ」と嘆息を深める人もいれば、掲句のようにそれを「ま、しょうがねえか」と磊落に突き放す人もいる。生来の気質の違いも大きかろうが、根底には長い間に培ってきた人生に対する態度の差のほうが大きいと思う。掲句を読んで「いかにも兜太らしいや」と微笑するのは簡単だが、その「兜太らしさ」を一般読者に認知させるまでの困難を、クリエーターならわかるはずである。嘆息の途中に、昔の子供なら誰でも知っていた廣澤虎造『石松代参』の名科白を無造作に放り込むなんてことは、やはり相当の大人でないとできることではない。この無技巧の技巧もまた、人生への向き合い方に拠っているだろう。金子兜太、九十歳。ますますの快進撃を。ああそして、久しぶりに虎造の名調子を聴きたくなってきた。例の「スシ食いねえ…」の件りである。「俳句界」(2009年1月号)所載。(清水哲男)
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