November 222009
くさめして我はふたりに分れけり
阿部青鞋
ああ、こういう見方もあるんだなと、感心しながら本日の句を読んでいました。クシャミというもの、あらためて考えてみれば、たしかに奇妙なものです。体を二つに折り曲げて、自分が破裂するように出てくるものなんて、ほかには思いあたりません。だからでしょうか、俳句だけではなく、現代詩の中でも時折登場します。長い詩の最後に、大きな空の下でクシュンとすれば、不思議な余韻が生み出され、どことなく孤独感や切なさをかもし出します。今日の句も、なかなか印象的です。クシャミの衝撃で、自分が二人にはがれたと書いてあります。アップルパイでもあるまいに、クシャミひとつでそう簡単にはがれてはたまりませんが、もちろんここは理屈ではなく。分かれたふたりが、あわててひとつに戻る姿でも思い浮かべながら、楽しく読んでいればよいのでしょう。『日本名句集成』(1992・學燈社)所載。(松下育男)
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