November 142009
三つといふほど良き間合帰り花
杉阪大和
帰り花、とただいえば桜であることが多いというが、いまだ出会ったことがない。上野の絵画展の帰りに、桜並木を見上げて探したこともあるが、立ち止まって一生懸命見つけるというのもなんだか違うかなあ、と思ってやめた。枯れ色の庭園を歩いていて、真っ白なつつじの帰り花がちょこんと載っているのに出会うことはよくある。いかにも、忘れ咲、という風情で、個人的にはあまり好きでないつつじの花にふと愛着の湧く瞬間だ。掲出句の帰り花は、桜なのだろう。花をとらえる視線を思いうかべると、一つだと点、二つだと線、三つになると三角形、つまり面になって、木々全体にふりそそぐ小春の日差が感じられる。確かにそれをこえると、あちらにもこちらにも咲いていてまさに、狂い咲き、の感が強くなりそうだ。以前、俳句の中の数、について話題になった時、蕪村の〈五月雨や大河を前に家二軒〉は、調べの問題だけでなく、一軒ではすぐ流されそうだし、三軒だと間が抜ける、という意見になるほどと思ったことがある。そのあたり、ものによっても人によっても微妙に違いそうだ。「遠蛙」(2009)所収。(今井肖子)
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