動き回る予定だが、ネックは昼間の阪神戦。パソコンでしか聞けないし。(哲




20091004句(前日までの二句を含む)

October 04102009

 街燈は夜霧にぬれるためにある

                           渡辺白泉

の句、どう考えてもまっすぐに詠まれたようには思われません。おちょくっているのではないのでしょうか。おちょくられているのは、もちろん歌のありかた。固定的、画一的な抒情と言い換えてもいいかもしれません。「夜霧」といえば「哀愁」ときて、どうしても椎名誠の「哀愁の町に霧が降るのだ」を思い出してしまいます。本日の句の「ためにある」のところは、そのまま「降るのだ」にあたり、それまでまじめな顔をしていたものが、一気に崩れてしまうことの滑稽さがおり込まれています。まじめに書かれていないものを、まじめに読む必要はないのかもしれませんが、それでもまじめに考えてみる価値はありそうです。とはいうものの、考えるよりも先に、パターン化された抒情に未だぐっときてしまうわたしなどには、わたし自身がおちょくられているような気にもなってしまいます。人になんと言われようと、慕情やブルースという言葉の響きが好きだし、波止場やマドロスの詩だって、もっと読みたいと思ってしまうものは、しかたがありません。『日本名句集成』(1992・學燈社)所載。(松下育男)




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