東京六大学野球見物。四半世紀ぶりだ。東大の応援風景は珍しいかも。(哲




20090921句(前日までの二句を含む)

September 2192009

 反逆す敬老の日を出歩きて

                           大川俊江

の句は既に一度取り上げているが、再度付け加えておきたい。作者は「敬老の日」の偽善臭に怒っている。口では「敬老」と言いつつも、本音は老人を疎んじる社会のありようは、年寄りになってみれば誰にもわかることだ。おじいちゃんおばあちゃんと、人としてまともに向き合うのは、いつも幼児だけという現実は哀しい。つい先日も新聞を読んでいたら、こんな記述に出会った。年寄りには「枯れた味」こそが似合うし好ましい。でも、最近は枯れ損なった老人が増えてきた。原因は、このところのギスギスした社会のせいだ‥、と言うのである。一見もっともらしいけれど、「ふざけるな」と私は思った。この記事を書いた記者は、自分が偽善の片棒を担いでいることに気がついていない。あるいは気がついていても、知らん顔をしているのだ。彼が書いているのは「年寄りは年寄りらしく大人しくすっこんでろ」という本音の偽善的表現に他ならないからである。現今の社会の現実がどうであれ、年寄りにこうした杓子定規な価値観を押し付けてきた風潮は、昔からずっと変わっては来なかった。この考えは、明白に姥捨て思想につながっていく。枯れろとか好々爺になれとかなどは、余計なお世話なのである。だから、家族の反対を振り切って「出歩く」気持ちに駆られるのは、理の当然である。むしろ、こうしてささやかに出歩くこと程度が、老人に「反逆」と意識される社会の偽善の厚みこそが問題だろう。今年も「敬老の日」を季題に多くの句が詠まれるのだろうが、ユメユメ「私、枯れてますよ」みたいな句を、わざわざこちらから世間に提供してはなりませぬぞ。自分で自分のクビを締めることになるのですぞ。『新日本大歳時記・秋』(1999)所載。(清水哲男)




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