September 18 2009
満月に落葉を終る欅あり
大峯あきら
人のように一本の欅が立つ。晩秋になり葉を落してついに最後の一枚まで落ち尽す。そこに葉を脱ぎ捨てた樹の安堵感が見える。氏は虚子門。虚子のいう極楽の文学とはこういう安堵感のことだ。落葉に寂寥を感じたり、老醜や老残を見たりするのは俳句的感性にあらず。俳句が短い詩形でテーマとするに適するのはやすらぎや温かさや希望であるということ。この句がやすらぎになる原点は満月。こういう句を見るとやっぱり俳句は季語、自然描写だねと言われているような気がする。さらにやすらぎを強調しようとすれば、次には神社仏閣が顔を出す。だんだん「個」の内面から俳句が遠ざかっていき、俳句はやすらぎゲームと化する。難しいところだ。『星雲』(2009)所収。(今井 聖)
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