September 01 2009
野の花を野にあるやうに挿しにけり
杉阪大和
九月の声を聞くと、肌に触れる空気にはっきりと秋の存在を感じるようになる。掲句の季題「野の花」は、歳時記「秋草」の傍題に置かれる。同じようではあるが「草の花」よりずっと控えめな、花ともいえぬ花であるような印象を受ける。茶の世界では、千利休の残した七則に「花は野にあるように」と心得があるが、掲句はその教えに沿って茶室に茶花を飾ったということではなく、おそらく野にある花を摘んできてしまった、わずかな後悔がさせた行為であろう。都会のなかで、あらためて手のなかに見る花の姿に、はっとしたのではないか。手折った花へのせめてもの償いとして、野に咲いていた可憐なおもむきを残すように挿しおいた、という作者の純情が静かな寂しさとともに立ち表れてくる。そして、利休の考えた茶室に再現させる自然の景のなかにも、作者が感じた申し訳なさという思いが込められてこそ、「侘び」の心が生まれるのかもしれない、と今さらながら気づいたのだった。『遠蛙』(2009)所収。(土肥あき子)
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