July 01 2009
わが夏帽どこまで転べども故郷
寺山修司
夏帽には、麦わら帽、パナマ帽、登山帽など各種あるけれど、夏の帽子のなかでもこの句にふさわしいのはいったい何だろうか? 故郷へ転がるのはやはり麦わら帽か。夏帽が他でもない故郷へと転がるあたりが、いかにも寺山節であり、寺山の限界でもあったと言っていいかもしれない。中七・下五のイレギュラーな調べが意識的に逆に活かされている。転がれど転がれど、行き着けない故郷。この場合、故郷をあっさり「青森」などと解釈してしまうのは短絡である。寺山は「故郷」という言葉をたくさん用い、多くの人がそれを論じてきたけれど、塚本邦雄がかつて指摘した言葉が忘れがたい。「彼の故郷が田園、あるひは日本もしくは韻文、定型、その呪文性を指すことは自明である」というのだ。もちろん異論もあるだろう。詩歌に限らず演劇、映画、小説……そして競馬さえも、彼にとっては故郷だったと思われる。故郷に向かって夏帽は転がる。仮に行き着けたにしても、もはやそこは彼の安住の地ではない。だから、とどまることなく転がりつづけ、走りつづけたのである。寺山の初期(高校時代)歌篇に、よく知られた「ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駈けて帰らん」という傑作がある。掲出句との類想は言うまでもない。晩年の寺山修司は、俳句への意欲を語ることがあったけれど、さて存命だったらどんな句を作ったか? 没後25年にまとめられた未発表短歌には、期待を裏切られたという声が少なからずあったけれど。『寺山修司コレクション1』(1992)所収。(八木忠栄)
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