ドイツから娘と孫が里帰り。来週には娘の連れ合いも。この夏は民宿状態に。(哲




20090630句(前日までの二句を含む)

June 3062009

 青梅雨や櫂の届かぬ水底も

                           高柳克弘

梅雨という言葉は、俳句を始めるずっと以前に永井龍男の小説で知った。ある雨の日のできごとを淡々と綴るこの作品は、いつ読み返しても、平明な言葉のかたまりが、突如人間の肉体と表情を持ってそこにあらわれる。掲句でも、中七の「櫂」が、まるで水中に伸ばした腕の、開いた五指の、さらにもっと先をまさぐるような感触を思わせ、うっとりと、少し気味悪く、水の底の景色を見せている。そして、おしまいにそっと置かれた「水底も」の「も」に、この世のあらゆるものが濡れ濡れと雨に輝いている様子につながる。質のよい一節は時折、見えないものを手にとるように見せてくれる。青々と茂る葉を打つ梅雨の雨は、路上を打ち、水面を打ち、ぐっしょりと水底を濡らしている。降り続く雨のなか、小さな傘の内側で濡れない自分をどうにも居心地悪く思うことがある。小説のなかで会話する家族より、櫂の届かない水底より、ずっと不自然な場所に立たされているかのように、ふわふわと足元がおぼつかなくなる。〈噴水の虹くぐりては巣作りす〉〈巻貝は時間のかたち南風〉『未踏』(2009)所収。(土肥あき子)




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