また梅雨空だ。通勤者でなくなった身分には、さして気にもならない。(哲




20090629句(前日までの二句を含む)

June 2962009

 「夕べに白骨」などと冷や酒は飲まぬ

                           金子兜太

年の盟友であった原子公平(はらこ・こうへい)への追悼句五句のうち。命日は2004年7月18日、84歳だった。一句目は「黄揚羽寄り来原子公平が死んだ」だ。この口語体が兜太の死生観をよく表しており、掲句にもまたそれがくっきりと出ている。作者をして語らしめれば、死についての考えはこうである。「人の(いや生きものすべての)生命(いのち)を不滅と思い定めている小生には、これらの別れが一時の悲しみと思えていて、別のところに居所を移したかれらと、そんなに遠くなく再会できることを確信している。消滅ではなく他界。いまは悲しいが、そういつまでも悲しくはない」。だから「夕べに白骨」(蓮如)などと死を哀れみ悲しんで、冷や酒で一時の気持ちを紛らわすことを、オレはしないぞと言うのである。他者の死を、そのまま受け取り受け入れる潔い態度だ。年齢を重ねるにつれて、人は数々の死に出会う。出会ううちに、深く考えようと考えまいと、おのずからおのれの死生観は固まってくるものだろう。そこから宗教へとうながされる人もいるし、作者のようにいわば達観の境地に入ってゆく人もいる。おこがましいが、私は死を消滅と考える。麗句を使えば、死は「自然に還ること」なのだと思う。したがって、私もふわふわしていた若い頃とは違い、あえて冷や酒を飲んだりはしなくなった。死についての考えは違っても、この句の言わんとするところはよく理解できるつもりだ。『日常』(2009)所収。(清水哲男)




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