May 172009
大の字に寝て涼しさよ淋しさよ
小林一茶
一茶の句はなぜこれほどわかりやすいのかと、あらためて思います。変な言い方ですが、どうもこれは普通のわかりやすさではなくて、異常なわかりやすさなのです。わかりやすさも極めれば、感動につながるようなのです。ずるいわかりやすさなのかもしれません。「淋しさよ」と、直接詠っています。いったい一茶はどれだけ淋しいといえば気がすむのかと、文句を付けたくなりますが、なぜか納得させられてしまうのです。体の部位や姿勢が、悲しみや淋しさに結びつくことは、だれでもが知っています。なぜなら悲しみや淋しさを感じるのは、ほかでもない自分の体だから。この句では姿勢(大の字)を涼しさに結び付けて、さらに付け加えるようにして淋しさに付けています。淋しいとき人はどうするだろう。むしろ身をかがめて膝を抱えるものではないのか、といったんは思いはするものの、いえそれほどに単純なものではなく、身を広げても、広がりの分だけの淋しさを、ちゃんと与えられてしまうようです。『新訂俳句シリーズ・人と作品 小林一茶』』(1980・桜楓社)所収。(松下育男)
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