早実も残ってはいるけれど、こうなったら我が山口の南陽工を応援するぞ。(哲




20090331句(前日までの二句を含む)

March 3132009

 春荒や水車は水を翼とし

                           菅 美緒

書のうえでは春の嵐と同義にされる「春荒(はるあれ)」だが、心情的には「嵐」とひとくくりにされるより、もっと春の持つ爆発的なエネルギーを感じさせる独特な荒々しさを持っているように思う。掲句では、激しい風にあおられながら、水車のこぼす水がまるで白い翼を持つ生きもののようだという。村上春樹の小説『納屋を焼く』(新潮文庫)に「世の中にはいっぱい納屋があって、それらがみんな僕に焼かれるのを待っているような気がする」という印象的な文章があった。そこにはあらゆる種類の暗闇が立ちこめていたが、掲句では水車が能動的に羽ばたくことを選び、大空へ飛ぶチャンスをうかがっているように見える。それは人をやすやすと近づけることを許さない「春荒」という季題が、水車に雄々しい自由と自尊心を与えているのだろう。〈子のごとく母を洗へり春の暮〉〈交みゐて蛙しづかに四つの目〉『洛北』(2009)所収。(土肥あき子)




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