February 272009
虚子の亡き立子の日々や立子の忌
今井千鶴子
高濱虚子が亡くなったのが1959年4月8日、立子が1984年3月3日。次女であり虚子にことに愛されたといわれる立子にとって虚子没後の四半世紀がどんなものであったのか。作者は虚子の縁戚として立子の主宰誌「玉藻」の編集に従事し、また晩年の虚子の口述筆記に携わるといういわば「ホトトギス」の内情に精通する立場から立子の気持ちに思いを馳せているわけである。そういう鑑賞とは別に興味ある角度をこの句は見せてくれる。虚子をAと置き、立子をBと置くと、この句は「Aの亡きBの日々やBの忌」という構造になる。AとBのところに自分の思いのある二人の人間、あるいは動物などを入れるとA、Bの関係に思いを馳せる「自分」との三者の関わりが暗示される結果になる。文意や意図とは別の次元で、定型詩の新しい文体や構造はこのようにして生まれてきたのだ。『過ぎゆく』(2007)所収。(今井 聖)
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