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January 2212009

 雪靴をもてセザンヌの前に立つ

                           田川飛旅子

雪の報はあったが、私の住む地域ではまだ雪を目にしていない。寒は早く明けてほしいけど、雪を見ずに冬が終わってしまうのは寂しい。掲句は都会では珍しく雪の降り積もった日のひとコマだろう。ぎしぎし雪を踏みしめてきた靴で作者はセザンヌの絵の前に立っている。先日ブリジストン美術館にある自画像を見たときこの句を思い出した。絵にはところどころ白いキャンパス地がそのまま残されていた。それは塗り残しというより、絵を引き立てるタッチそのものなのだろう。水彩や墨で描く日本画では余白の部分が色や光の役回りを担う。しかし油絵で空間演出としてキャンパス地をそのまま使った人はセザンヌ以前にいなかったのではないか。掲句の「雪靴」は多分登山靴のようにずっしりと重い靴だろう。セザンヌの絵のタッチと雪靴のところどころに残る雪が響き合う。生々しく実感に訴えてくる表現は飛旅子の得意とするところだが、この句にも彼のその特色がよく生かされているように思う。『現代俳句全集』第六巻(1959)所収。(三宅やよい)




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