図書館カード。返却日が明示されるのは便利だが、追い立てられるようでも。(哲




20090119句(前日までの二句を含む)

January 1912009

 餅切てゐるらし遠のく思ひのよろし

                           河東碧梧桐

を切る音を久しく聞かない。今はスーパーで、手ごろな大きさに切ってある餅を売っていたりする。といって、掲句の「餅切る」は、雑煮や汁粉のために少量を切っているのではないだろう。昔は正月に入ってからもう一度餅を搗き、保存食として「かき餅」にしたものだ。箱状の容器に薄く伸べた餅を、包丁で細く短冊状に切ってゆく。たくさん切るのだから、この単純作業には手間がかかる。面白い作業ではない。厨のほうから、そういうふうにして餅を切る音というか気配が伝わってきた。切っているのは、おそらく作者の妻だろう。その人は、何か深刻な「思ひ」を抱えているのだ。さきほど、聞かされたばかりである。いかし、しばらく静かだった厨から餅を切る音がしはじめた。そこで、作者がようやくほっとしている図だ。餅を切るという単純作業に入ったということは、その間だけでも「思ひ」は遠のくはずだからである。でも、この「よろし」は作者自身の自己納得なのであって、切っている当人の心持ちは「よろし」かどうかはわからない。こうした自己納得は日常的によく起きる心象で、こんな気持ちを繰り返し育てながら、誰もが生きている。大正六年の作。冬の句だろうが、とりあえず無季句に分類しておく。短詩人連盟刊『河東碧梧桐全集・第一巻』(2001)所収。(清水哲男)




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