福田繁雄氏没。家の入口がどこにあるのか分らないほどの徹底ぶりだった。(哲




20090116句(前日までの二句を含む)

January 1612009

 東山三十六峰懐手

                           西野文代

文字の句である。句の表記について漢字にするか、ひらがなにするかはときどき迷うところ。例えば、桜と書くか、さくらと書くか。(もちろん櫻と書く選択もあろうが)ひらがなにするとやわらかい感じになる。あるいはさくらのはなびらの質感が出ると思われる方も居るかも知れない。一方で、桜と書くと一字であるために視覚的に締って見える。さくらは拡散。桜は凝固である。俳句は散文や散文的な短歌に対し凝固の詩であるとみることもできる。一個の塊りのような爆弾のような。この名詞をどうしてひらがなにしたのですかと尋ねると、あまり漢字が多くて一句がごつごつするのでと言われる作者もいる。僕なら凝固、凝集の効果の方をとる。この句、だんだん俯瞰してゆくと一行がやがて一個の点にみえてくるだろう。俳句表現が一個の●になるような表記。俳句性の極致。別冊俳句『平成俳句選集』(2007)所収。(今井 聖)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます