阪神巨人、再び「よーいドン」。ナイター観る吾が身もいつか負けがこむ(春一)。(哲




20080922句(前日までの二句を含む)

September 2292008

 木守柿万古へ有機明かりなれ

                           志賀 康

の実をすべて採らずに一つだけ残しておく。来年もよく実がなりますようにという願いからか、あるいは全部採ってしまったら鳥たちが可哀相だからか。これが「木守柿」。木のてっぺんに一つぽつんと残された柿は、なかなかに風情があるものだ。作者はこれを一つの灯のようにみなし、蛍光のような有機の明かりとしてではなく、ほの暗い自然のそれとして、「万古(ばんこ)」すなわち遠い昔をいつまでも照らしてくれよと祈っている。私はこの句から、シュペルヴィエルの「動作」という詩を思い出した。草を食んでいる馬がひょいと後ろを向いたときに見たもの。それは二万世紀も前の同じ時刻に、一頭の馬がひょいと後ろを向いて見たものと同じだったというのである。この発想を生んだものこそが、木守柿の明かりであるなと反応したからである。つまり、揚句における木守柿は、シュペルヴィエルにおける詩人の魂だと言えるだろう。魂であるからには、有機でなければならない。作者もまた、かくのごとき詩人の魂を持ちたいと願い、その祈りが木守柿に籠められている。近ごろの俳句には、なかなか見られない真摯な祈りを詠んだ句だ。他の詩人のことはいざ知らず、最近の私は無機の明かりにに毒され過ぎたせいか、この句を読んで、初発の詩心を忘れかけているような気がした。詩を書かねば。『返照詩韻』(2008)所収。(清水哲男)




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