4444444。この不吉な数列を踏むのは誰か。案外私自身だったりして(笑)。(哲




20080801句(前日までの二句を含む)

August 0182008

 泳ぎより歩行に移るその境

                           山口誓子

観写生といわれる方法から従来の俳句的情趣を剥ぎ取ったらどうなるかという実験的な作品。ものをそのまま文字に置き換えて「客観的に写生する」ことの論理的矛盾を嗤い言葉から発する自在なイメージを尊重するようにとの主張から「新興俳句」が出発したが、その「写生」批判は実は、従来の俳句的情趣つまり花鳥諷詠批判が本質だったと僕は思う。俳句モダニストたちの写生蔑視の中には誓子のこんな句は計算外だった。平泳ぎでもクロールでもいい。水の表面を泳いでいる肢がある地点で地につく。その瞬間から歩行が始まる。水中を縦割りにして泳者を横から見ている視点がある。水面は上辺。遠浅の海底が底辺。底辺は陸に向かって斜めに上がりやがて上辺と交わる。そこが陸である。肢は、二辺が作る鋭角の中を上辺に沿って移動し、ある時点で底辺に触れる。こんな「写生」をそれまでに誰が試みたろうか。ここにはまったく新しい現代の情緒が生み出されている。『青銅』(1962)所収。(今井 聖)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます