蒸し暑い日がつづいています。トシでなくてもコタエるだろうなあ。(哲




20080705句(前日までの二句を含む)

July 0572008

 紫陽花の浅黄のまゝの月夜かな

                           鈴木花蓑

黄色は、古くは「黄色の浅きを言へるなり」(『玉勝間』)ということだが、浅葱色とも書いて、薄い藍色を表すようになった。今が盛りの紫陽花の、あの水よりも水の色である滴る青は、生花の色というのが不思議な気さえしてくる。梅雨の晴れ間、月の光に紫陽花の毬が浮かんでいる。赤みがかった夏の月からとどく光が、ぼんやりと湿った庭全体を映し出して、山梔子の白ほどではないけれど、その青が闇に沈まずにいるのだろう。紫陽花と一緒になんとなく雨を待っている、しっとりとした夜である。初めてこの句を「ホトトギス雑詠撰集・夏の部」で読んだ時は、あさぎ、とひらがなになっていて、頭の中で、浅葱、と思ったのだったが、こうして、浅黄、となっていると、黄と月が微妙に呼び合って、ふとまだ色づく前の白っぽい色を薄い黄色と詠んだのかとも思った。が、じっと思い浮かべると、やはり紫陽花らしい青ではないかと思うのだった。代表句とされる〈大いなる春日の翼垂れてあり〉の句も印象深い。「新日本大歳時記・夏」(2000・講談社)所載。(今井肖子)




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