見慣れてないだけかもしれないが、九州の鉄道は遊び心があって愉しいな。(哲




20080520句(前日までの二句を含む)

May 2052008

 刻いつもうしろに溜まる夏落葉

                           岡本 眸

(かし)や楠(くす)などの常緑樹は緑の葉のまま冬を過ごしたあと、初夏に新葉が出てから古い葉を落とす。常磐木(ときわぎ)落葉とも呼ばれる夏の落葉と、秋から冬にかけての落葉との大きな違いは、新しい葉に押し出されるように落ちる葉なので、どれほど散ろうと決して裸木にならないことだろう。鬱蒼と青葉を茂らせたまま、枯葉を降らせる姿にどことなく悲しみを感じるのは、常緑樹という若々しい見かけの奥のひそやかな営みが、ふと顔を見せるためだろうか。紅葉という色彩もなく、乾ききった茶色の葉が風にまかせてぽろりぽろりと落ちていく。しかも、常緑樹はたいてい大樹なので、ああ、この茂りのなかにこんなにも枯れた葉があったのかと驚くほどきりもなく続き、掃いても掃いてもまた同じ場所に枯葉が落ちることになる。掲句はまた、時間は常にうしろに溜まっていくという。「うしろ」のひと言が、ひっそりと過去の時間をふくらませ、孤独の影をまとわせる。生きるとは、きっとたくさんの時間の落葉を溜めていくことなのだろう。『流速』(1999)所収。(土肥あき子)




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