タイガースが今季初の連敗。ドラゴンズが追いつきそう。焦るなよ。(哲




20080510句(前日までの二句を含む)

May 1052008

 ぼたん切て気のおとろひしゆふべ哉

                           与謝蕪村

村には牡丹の佳句が少なからずある。〈牡丹散て打重りぬ二三片〉をはじめとして〈金屏のかくやくとして牡丹かな〉〈閻王の口や牡丹を吐んとす〉など。幻想的な句も多い蕪村だが、牡丹の句の中でも、閻王の句などはまさにその部類だろう。桜の薄紅から新緑のまぶしさへ、淡色から原色へ移ってゆくこの季節、牡丹は初夏を鮮やかに彩る花である。それゆえ牡丹を詠んだ句は数限りなく存在し、また増え続けており、詠むのは容易ではないと思いながら詠む。先日今が見頃という近所の牡丹寺に行った。小さいながら手入れが行き届き、正門から二十メートルほどの石畳の両脇にびっしり、とりどりの牡丹が満開である。そして、朝露に濡れた大輪の牡丹と対峙するうちに、牡丹の放つ魔力のようなものに気圧され始めた。それは美しさを愛でるというのを通りこし、私が悪うございましたといった心持ちで、半ば逃れるように牡丹寺を後にしたのだった。掲出句、丹精こめた牡丹が咲き、その牡丹に、牡丹の放つ妖気に気持ちがとらわれ続けている。そんな一日を過ごして、思い切ってその牡丹を切る。そのとたんに、はりつめていた作者自身の気もゆるんでしまった、というのだろう。牡丹にはそんな力が確かにある。おとろひし、は、蕪村の造語ではないか(正しくは、おとろへし)と言われている。『與謝蕪村句集 全』(1991・永田書房)所載。(今井肖子)




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