April 272008
春の蛇口は「下向きばかりにあきました」
坪内稔典
どうしてこの句に惹かれるのだろう、というところから考えはじめなければならないようです。文芸作品に接するとき、通常は、言葉で巧みに描かれた「意味内容」に、心を動かされるものです。しかし、掲句を読むかぎり物事はそう単純ではないようです。意味はわかりやすくできています。蛇口というのはたいてい下向きについているものですが、人か、あるいは蛇口自身が、ある日、そのことにもう飽きたといいだしたのです。たしかに、だれもなんとも思わないものを、このようにとり上げられれば、そうかそんな見方もあるのかという驚きは感じます。しかし、この句に惹かれる理由は、それだけではないようです。また、「春の」とあるように、のんびりとした雰囲気の中で、深刻なことは考えないで、水のこぼれている栓のゆるい蛇口でも眺めていようよという、心地のよいちからのぬけかたも感じます。しかし、それだけでもなさそうです。たぶん、俳句という、ここまでは言い切ってしまったけれども、ここから先はどんなふうに書きついでも台無しになる世界、そこにこそ、私は惹かれるのかなと、思うのです。『現代の俳句』(1993・講談社)所載。(松下育男)
『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます
|