新入社員時代、会社近くの喫茶店モーニング・サービスが定番だった。(哲




20080407句(前日までの二句を含む)

April 0742008

 春の服買ふや余命を意識して

                           相馬遷子

の服には明るい色彩や柄のものが多い。それだけに高齢になってから買うときには、若いころのように弾む気持ちもなくはないけれど、他方では少々派手気味かななどと、余計な神経を使ったりもする。そのためらいの気持ちを止めるよう自己説得するのが、「余命」の意識というわけだ。あと何年生きられるか、わからない。二十年も三十年も生きるのは、常識的にまず不可能だ。そんな年齢なのだから、いつまでも昔のように世間や周囲の目を気にしていたら、死ぬときに後悔することにもなりかねない。着たいものを着られるのも、生きていればこそなのである。そう自分に言い聞かせて、作者はえいっとばかりに春の服を買ったのだった。むろん、あと何年着られるかなあという心細さも自然に「意識」されて……。そしてこのことは、春の服に限らない。私なども最近、多少高価なものを買おうとするたびに、このような自己説得法を使うようになってきた。それにしても大概の場合に、何の根拠もなくあと十年は生きるつもりの余命意識を持ち出すのだから、まったくいい気なものだとは思うけれど、しかしそのいい気を一方で哀しく思う気持ちも拭えないというのが、正直なところだ。『合本・俳句歳時記』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)




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