東京の花は散りはじめました。ちょっと風邪を引いたみたい。ほんのハナ風邪ですが。(哲




20080330句(前日までの二句を含む)

March 3032008

 椿落ちてきのふの雨をこぼしけり

                           与謝蕪村

椿というと、どうしてもその散りかたを連想してしまいます。確かに増俳の季語検索で「椿」をみても、落ちたり、散ったりの句がいくつも見られます。これはむろん、句だけに限ったことではありません。若い頃に流行った歌の歌詞にも、「指が触れたら、ポツンと落ちてしまった。椿の花みたいに、恐らく観念したんだね。」というものがありました。椿の花の鮮やかな赤色と、女心の揺れ動きが、なるほどうまくつながっているものだと、いまさらながら感心します。ところで蕪村の掲句、これも花の落ちることを詠んでいますが、それだけではなく、他のものも一緒に落しています。ありふれたものの見方も、むしろそれをつきつめることによって、別の局面を持つことが出来るようです。目をひくのはもちろん「きのふ」の一語です。椿に降りかかった雨水が、花の上に貯えられたまま、一日は終えてしまいました。翌朝、水の重さに耐えられなくなったか、あるいはもともと花の散る時期だったのか、散って行くその周りに、水がもろともにこぼれて行く様子を詠んでいます。水の表面は朝日に、きらきらと輝いているのでしょうか。そのきらめきの中を、どうどうと落ちて行く椿。「きのふ」の一語が入ってくるだけで、句はひきしまり、全体が見事に整えられてゆきます。『四季の詞』(1988・角川書店)所載。(松下育男)




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