昨日の東京円一時102円台。またぞろ不況の兆し。今日はどのくらい反発するか。(哲




20080304句(前日までの二句を含む)

March 0432008

 白魚のいづくともなく苦かりき

                           田中裕明

タクチイワシなどの稚魚であるしらすと同様、白魚(しらうお)もなにかの稚魚だとばかり思っていたが、成長しても白魚は白魚。美しく透き通る姿のままで一生を終える魚だった。鮎やワカサギなどと近い種類というと滑らかな身体に納得できる。また「しろうお」はハゼの仲間で別種だという。ともあれ、どちらも姿のまま、ときには生きたまま食される魚たちである。「おどり」と呼ばれる食し方には、いかにも初物を愛でる喜びがあるとはいえ、ハレの勢いなくしては躊躇するものではなかろうか。矢田津世子の小説『茶粥の記』に出てくる「白魚のをどり食ひ」のくだりは、朱塗りの器に泳がせた白魚を「用意してある柚子の搾り醤油に箸の先きのピチピチするやつをちよいとくぐらして食ふんだが、その旨いことつたらお話にならない。酢味噌で食つても結構だ。人によつてはポチツと黒いあの目玉のところが泥臭くて叶はんといふが、あの泥臭い味が乙なのだ。」と語られる。筆致の素晴らしさには舌を巻くが、意気地のない我が食指は一向に動かない。だからこそ掲句の「いづくともなく」湧く苦みに共感するのだろう。味覚のそれだけではなく、いのちを噛み砕くことに感じる苦みが口中をめぐるのである。『夜の客人』(2005)所収。(土肥あき子)




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