February 16 2008
椿の夜あたまが邪魔でならぬかな
鳴戸奈菜
椿の花の時期は長いが、盛りは二月半ばから三月。花弁を散らしつつ、咲きながら散りながら冬を過ごす山茶花とは異なり、ぽたっと花ごと落ちるので、落椿という言葉もある。木偏に春は国字というが、あまり春の花という印象が強くない気がするのは、その深緑の葉の硬質な暗さや、春風を感じさせることのない落ち方のせいだろうか。それにしても掲句、あたまが邪魔なのだという。ひらがなの、あたま、は、理性、知性、思慮分別。もっと広く、本能以外のものすべてであるかもしれない。ものみな胎動し始める早春の闇に引きこまれるように、本能のおもむくままでありたい自分と、そんな一瞬にも、椿の一花が落ちる音をふと聞き分けるほどの冷静さで自分を見つめる自分。ならぬかな、にこめられた感情の強さは、同時に悲しみの強さともいえるだろう。一度お目にかかった折の、理知的で穏やかで優しい印象の笑顔と、「写生とは文字通り、生を写すこと」という言葉を思い出している。『鳴戸奈菜句集』(2005・ふらんす堂)所収。(今井肖子)
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