November 302007
真白なショールの上に大きな手
今井つる女
ショールは女のもの。大きな手は男のもの。二つの「もの」には当然のように性別が意図され規定される。ショールの上に手が置かれる間柄を思うと、この男女は夫婦、または恋人同士。ショールは和装用だから男もまた和装であってよい。「もの」しか書かれていないのに、その組み合わせはつぎつぎとドラマの典型を読者に連想させる。上原謙と原節子、佐田啓二と久我美子、はたまた鶴田浩二と岸恵子。こんな組み合わせのカップルだろうか。オダギリジョーとえびちゃんではこうはならない。つまりこのドラマには、恋愛や夫婦の在り方や倫理観や風俗習慣など、明治三十年生まれの「女流」から見たコンテンポラリーな風景と意識が明解に映し出されている。時代に拠って変化するものは、後年みると古臭く見える。それは当たり前だろう。だからといって草木や神社仏閣の情緒に不変のものを求めるのは現在ただ今の自己への執着を放棄することにならないか。現在ただ今の、流動しかたちを定めない万相の中にこそ時代の真実があり、自己の生があり、その一瞬から永遠が垣間見える。「写生」とはそういう特性をもつ方法である。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖)
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