November 192007
ふたりから離れ毛糸を編みはじむ
恒藤滋生
うっかり見過ごしてしまいそうな句だが、なかなか面白いなと立ち止まらされてしまった。表面的な情景としては何の変哲もないのだけれど、しかしそれは不思議な心理的空間と重なっている。この不思議は、主として「ふたり」という曖昧な表現に起因するのだろう。読者には「ふたり」がどんな人たちなのか、男なのか女なのか、はたまた老若いずれなのかなども一切わからない。もちろん、関係も不明だ。つまりそれらのことを、作者は急に毛糸を編みはじめた人を通して垣間見せているわけで、この毛糸編む人の心理の忖度のしようによって、「ふたり」は何通りにも解釈できることになる。そこが掲句の不思議な味を醸し出している。毛糸を編むという行為は自分の殻に閉じこもるそれでもあるので、「ふたり」を離れた気持ちもわかるような気はするが、気がするだけで、そう簡単に結論が下せるものでもない。単に、編み上げる時間が迫っているだけかもしれないからだ。いずれにしても、この「ふたり」の存在があって、この句は奇妙な味を得ることになった。こんな「毛糸編む」(冬の季語)の句は、はじめてである。俳誌「やまぐに」(第11号・2007年11月発行)所載。(清水哲男)
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