September 20 2007
長き夜の楽器かたまりゐて鳴らず
伊丹三樹彦
俳誌「青群」に収録された伊丹三樹彦と公子の「神戸と新興俳句」の対談が面白い。十代の頃より日野草城の主宰する「旗艦」に参加した三樹彦が新興俳句の勃興期をリアルタイムで経験した話を収録している。少年だった三樹彦は数ある俳誌の中で俳句雑誌らしからぬダンスホールやヨットの見える鎧窓などをデザインしたハイカラな表紙に引かれ「旗艦」に参加したという。戦前の神戸は横浜と並ぶ国際港で、異国文化が真っ先に入ってくる場所でもあったので、モダンなものを詠み易い雰囲気があったのだろう。川名大の「新興俳句年表」を調べると、掲句は昭和13年の作になっている。「周りはもうみんな灯を消してしまっているのに、その楽器店だけは煌々と照らしておりまして、音を発する楽器がまったく音を発しない。そういう存在になって、なんとなく不気味であるというふうな…」という印象のもとに書かれた句であると対談の中で作者が述べている。年表には同時期の作として「燈下管制果実の黒き種を吐く」が並んでいるので、今のように灯りが煌々とつく街にある楽器店とは様子が違うのだろう。部屋の隅に鳴らない楽器が固まって置かれている情景を想像するだけでも説得力のある句であるが、時代を語る夫妻の対話をもとに句の背景を知って読み返すとまた違う印象があり、貴重な資料であると思う。俳誌「青群」(第5号 2007/09/01発行)所載。(三宅やよい)
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