September 06 2007
いま倒れれば鶏頭の中に顔
渡辺鮎太
ぬっと固まって咲く鶏頭は、はかなげな秋の花と違いどこか不気味な面持ちをしている。もともとは熱帯アジア原産で、古く日本へ渡来したと辞書にあるから長い間観賞用の花として愛好されてきたのだろう。この花を気持ち悪く思う私にはどこが良くて花壇に植えられているのかさっぱりわからない。「いま倒れれば」といきなり始まる唐突な出だしは前のめりに倒れそうになった瞬間心をよぎった言葉なのか、それとも起こりそうもない状態を仮定しての言葉なのか。いずれにしても「ば」のあとに続く事柄が、「鶏頭の中に顔」で切れているヘンさ加減が鶏頭嫌いの私にとってはとても気になる。まっすぐ立っている鶏頭を顔で押し分けながら倒れこんでゆくシーンは柔らかそうなコスモスなどに倒れこむより現実的でちょっと毒を含んでいるように思える。鶏頭の中に顔があるシュールで大胆な構図も面白いが、実際に自分の顔が倒れこんでゆく場面を想像してみると、たくましい茎は直立したまま曲がりそうにないし、ばちばち顔に当たる葉も痛そうだ。鶏頭を詠むのに花から離れて詠むのではなく、自分の身体を倒してみる。しかも物が当たるのに一番避けたい顔を持ってきたことで句に生々しさが生まれ、鶏頭の異様な感触を際立たせたように思う。『十一月』(1998)所収。(三宅やよい)
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