貧乏人の金をかき集め金融商品化。限りなく詐欺に近い商法。サブプライム問題。(哲




20070831句(前日までの二句を含む)

August 3182007

 その母もかく打たれけり天瓜粉

                           仲 寒蝉

ん坊が素裸で天瓜粉を全身に打たれている。泣いているか、笑っているか。いい風景だ。赤ん坊よ、お前に粉を打っている母もお前のような頃があって、そうやって裸の手足を震わせたのだ。時間の長さの中を、現実と過去とが交錯する。一人の赤ん坊の姿に多重刷りのように時間を超えて何人もの「赤ん坊」が重なる。たったひとりの笑顔に無数の「母」の顔が浮かびあがる。村上鬼城の「生きかはり死にかはりして打つ田かな」。齊藤美規の「百年後の見知らぬ男わが田打つ」も同様。鬼城は百姓という存在の無名性を詠い、美規は「血」というものの不思議から「自分」の不思議へと思いを深める。三句とも「永遠」がテーマである。ところで、或る句会で、「汗しらず」と下五に置かれた俳句があった。汗を知らないという意味にとったら、これはひとつの名詞。天瓜粉のことであった。歳時記にも出ているので、俳人なら知っておくべきだったと反省したが、「天瓜粉」でさえ、僕らの世代でも死語に近いのに、「汗しらず」なんて使うのはどんなもんだろう。まあ、そんなことを言えば、「浮いて来い」だの「水からくり」なんかどうだ。「現在ただ今」の自分や状況を詠もうとする俳人にはとても使えない趣味的な季題である。『海市郵便』(2004)所収。(今井 聖)




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