朝青龍帰国。この若者をどう扱えばよいのかわからない相撲協会の欲はわかる。(哲




20070829句(前日までの二句を含む)

August 2982007

 鬼灯のひとつは銀河の端で鳴る

                           高岡 修

年の浅草のほおずき市では千成ほおずきが目立った。あれは子どもの頃によく食べたっけ。浅草で2500円で買い求めた一鉢の鬼灯が、赤い袋・緑の袋をつけて楽しませてくれたが、もう終わりである。子どもの頃、男の子も入念に袋からタネを取り出してから、ギューギュー鳴らしたものだったけれど、惜しいところでやたらに袋が破れた。鳴らすことよりも、あわてず入念になかのタネをうまく取り出すことのほうに一所懸命だったし、その作業こそスリリングだった。今も見よう見まね、自分でタネを取り出して鬼灯を鳴らす子がいることはいるのだろう。掲出句を収めた句集には、死を直接詠ったものや死のイメージの濃厚な句が多い。「父焼けば死は愛恋の火にほてる」「死螢が群れ天辺を明かくする」など。女性か子どもであろうか、心ならずも身まかってのち、この世で鳴らしたかった鬼灯を、銀河の端にとどまり銀河にすがるように少々寂しげに鳴らしている――そんなふうに読みとってみると、あたりはシンとして鮮やかに目に映る銀河の端っこで、鬼灯がかすかに鳴っているのが聞こえてくるようだ。その音が銀河をいっそう鮮やかに見せ、鬼灯の鳴る音を確かなものにし、あたりはいっそうシンと静まりかえったように感じられてくる。ここでは「ひとつ」だけが鳴っているのであり、他のいくつかは天辺の果てで鳴っているのかもしれないし、地上のどこかで鳴っているのかもしれない。儚い秋の一夜である。高岡修は詩人でもある。第二句集『蝶の髪』(2006)所収。(八木忠栄)




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