また暑さがぶり返してくる気配。いい加減にしてほしい。降参、もう若くない。(哲




20070824句(前日までの二句を含む)

August 2482007

 みづうみの水のつめたき花野かな

                           日野草城

体形で何々かなに掛ける。虚子の「遠山に日の当りたる枯野かな」もある。つめたいのは花野ではなくて水。日が当っているのは枯野ではなくて遠山である。最近では岸本尚毅の「手をつけて海のつめたき桜かな」も同様。こういう用法と文体はいつの時代に誰が始めたのだろう。何だって最初はオリジナルだったのだ。起源を知りたいとは思うがわかっても実作にはつながらない。自分のオリジナルを作りたい実作者にとっては用法の起源はあまり意味を持たない。古い時代の用法をたずねて今に引いてくるのは昔からよくあるオリジナルに見せかける常道である。新しい服をデザインする発想に行き詰ったら、そのとき古着のデザインに習えばいいと思うのだが。この句、水と花野の質感の対比、みづうみと花野の大きさの対比。二つの要素の対比、対照によって効果を出している。草城のモダニズムは自在にフィクションを構成してみせたが、誓子や草田男のように、文体そのもののオリジナルに向ける眼差しは無かった。そこが、草城作品の「俗」に寄り添うところ。そこに魅力を感じる人も多い。講談社『日本大歳時記』(1983)所載。(今井 聖)




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