G黷ェij句

August 0982007

 原爆忌折鶴に足なかりけり

                           八田木枯

島に続き62年前の今日、11時2分長崎に二つ目の原爆が投下された。先年亡くなった義父は、広島の爆心地近くで被爆したが、近くにあった茶箪笥が熱線と爆風を受け止めたため九死に一生を得た。今も使われている箪笥の裏側はあの日の閃光で真っ白に変色している。ニュースやドキュメンタリーで広島、長崎のきのこ雲の映像を見るたび、普段どおりの生活を営んでいた数十万の人々が巻き込まれた苛酷な運命を思い胸が痛くなる。熱線に焼かれ火炎地獄の中で亡くなっていった人々の悔しさと無念さはいかばかりだったろう。かろうじて生き残った人々の心と身体にも深い傷が残った。今年も鎮魂の折鶴が何万羽となく被爆地へ届けられたことだろう。私の職場でも各机で鶴が折られ箱に収まった。「折鶴に足なかりけり」と、「脚」ではなく「足」と表記したことで、折鶴には不似合いな生身の足を感じさせる。おびただしく折られる鶴のことごとくに足のない事実は、あの日火傷を負い、建物の瓦礫に埋まり、身動きが出来ぬまま亡くなっていった数万の人々の姿と響きあう。それは原爆の悲惨な現実を思い起こさせると同時に、戦後62年を経た今、生きながらえた私たちが折鶴に託する祈りは何なのかと読み手の胸にせまってくるのだ。「現代俳句」(2005年7月号)所載。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます