August 01 2007
飲馴れし井水の恋し夏の旅
幸田露伴
誰にも当然のようにうなずける句意である。「着馴れし」もの、「食馴れし」もの、「住馴れし」もの――それらは、私たちによく馴染んでいて恋しいものである。いや、時として馴れた衣・食・住に飽きてしまったり嫌悪を覚えたりすることはあろう。しかし、それも一時のことである。まして、それが生きるうえで最も不可欠な水となれば、「飲馴れ」た水にまさるものはない。どこにもある水道水やペットボトルの水の類ではない。固有の井水(井戸水)である。かつては、家それぞれが代々飲みつづけてきた井戸水をもっていた。井戸水とは、それを飲みつづける者の血でもあった。必ずしも上等の水である必要はない。鉄気(かなけ)の多い水、塩分の多い水などであっても、それが「飲馴れし井水」であった。自分が飲んで育った水である。暑い夏の旅先で馴れない水を何日も飲みつづけている身には、わが家の井戸水が恋しくなるのは当然のこと。夏なお冷たい井戸水である。この場合の「井水」は「水」だけでなく、生まれ育った「土地」や「家族」のことをも意味していると思われる。旅先で、井戸水や家族や土地がそろそろ恋しくなっているのだ。うまい/まずいは別として、私たちにとって「恋しい水」って何だろう? 百名水なんかじゃなくてもよい。あのフーテンの寅さんも「とらや」という井水=家族=土地への恋しさがたまって、柴又へふらりと帰ってきたのではなかったか。『露伴全集32巻』(1957)所収。(八木忠栄)
『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます
|