ちょっと遠くの図書館まで本を返しに行く日。こういうルールは守らねばね。(哲




20070718句(前日までの二句を含む)

July 1872007

 物言はぬ夫婦なりけり田草取

                           二葉亭四迷

植がすんでからしばらくすると、田の面に草がはえはじめる。一番草、二番草・・・・と草の成育にしたがって、百姓は何回も田草取りに精出さなければならない。「田の草取り」とも言う。田に這いつくばるようにして、両手を田の面に這わせ、稲の間にはえた草をむしり取って、土中に埋めてゆく。少年時代に、ちょっとだけ手伝わされたことがあるが、子どもにはとてもしんどかった! 二番草、三番草となるにしたがって稲の背丈が伸びてくるから、細かい網でできた丸い面を顔にかぶる。稲の葉先は硬く鋭く尖っているから、顔面や眼を守るための面である。蒸し暑い時季だから汗は流れる、這いつくばっての作業ゆえ、腰が棒のようになってたまらなく痛くなってくる。時々立ちあがって汗を拭き、腰を伸ばさずにはいられない。除草機や除草剤が普及するまで、百姓はみなそうやって稲を育てた。百姓はたいてい夫婦か身内で働く。そうした辛い作業だから、夫婦は無駄口をたたく余裕などない。黙々と進む作業と、田の広がりが感じられる句である。別の田んぼでもやはり夫婦が田んぼに這いつくばっているのだろう。農作業をするのにペチャクチャしゃべくってなどいられない。掲出句のような風景は、年々失われてきたものの一つ。平凡な詠い方のなかに、強く心引きこまれるものがある。四迷には「物云はて早苗取りゐる夫婦かな」という句もある。俳句にも熱心だった四迷は「俳諧日録」を書き、「俳諧はたのしみを旨とするもの」と言い切っている。『二葉亭四迷全集』(1986)所収。(八木忠栄)




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