「夏至」である。と言われなくても、今年はもう十分に「夏」は「至」っているよ(笑)。(哲




20070621句(前日までの二句を含む)

June 2162007

 地下鉄にかすかな峠ありて夏至

                           正木ゆう子

えば地下鉄ほど外界から切り離された場所はないだろう。地下鉄からは光る雲も、風に揺らぐ緑の木々も見えない。真っ暗な軌道を轟音とともに走る車両の中では外の景色を見て電車の上り下りを感じることはできない。地下鉄にも高低差はあるだろうが、電車の揺れに生じる微妙な変化を身体で感じるしかないのだ。その起伏を表すのに人工的な地下鉄からは最も遠い「峠」という言葉にゆきあたったとき、作者は「ああ、そういえば今日は夏至」と改めて思ったのかもしれない。昼が最も長く夜が最も短いこの日をピークに昼の長さは短くなってゆく。しかし「夏至」という言葉にその頂点を感じても太陽のあり方に目に見える変化が起こるわけではない。「かすかな峠ありて夏至」と少し間延びした言葉の連なりにその微妙な変化を媒介にした地下鉄の起伏と太陽の運行との結びつきが感じられる。都会生活の中では、自然の変化を肌で感じられる場所はどんどん失われている。だが、味気ない現実に閉じ込められるのではなく作者は自分の身体をアンテナにして鉄とコンクリートの外側にある季節の変化を敏感に受信している。「かすかな」変化に敏感な作者の感受性を介して都会の暗闇を走る地下鉄は明るく眩しい太陽の運行と結びつき、それまでとは違う表情を見せ始めるのだ。『静かな水』(2002)所収。(三宅やよい)




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