保護者から教師に無理難題。「溺愛型」「利得追求型」「理解不能型」など10種。(哲




20070605句(前日までの二句を含む)

June 0562007

 牛逃げてゆく夢を見し麦の秋

                           本宮哲郎

の秋は「秋」の文字を含みながら、夏の季語。麦の穂が熟すこの時期を、実りや収穫のシーズンである「秋」になぞらえて使っている。竹の春(秋)や竹の秋(春)なども、このなぞらえを採用する悩ましい季語だ。と、これは蛇足。さて、牛が逃げる夢を見た作者である。〈牛飼ひが牛連れ歩くさくらかな〉〈馬小屋をざぶざぶ洗ふ十二月〉など、新潟の地で農業を営む作者の作品に牛や馬が登場することはめずらしくないが、どれも事実に即した詠みぶりのなかで、夢とは意外であった。さらになぜ牛だったのだろう。馬では、颯爽としていて一瞬にして遠ざかってしまうだろう。引きかえ、おそらく立ち止まり振り返りしながら去っていく牛であることで、存在に象徴や屈託が生まれた。夢とはいえ、農耕の大きな働き手である牛を失う絶望感とともに、一切の労働から解放してあげたいという心理も働いているように思う。凶作や戦争の終わりを預言すると伝えられる「件(くだん)」は牛の姿をしているという。夢のなかにも現実にも、途切れず聞こえていたのは、さらさらと川の流れのような黄金色の麦畑に風が吹き抜ける音である。目が覚めてからもふと、夢のなかに置いてきてしまった牛の行方に思いを馳せる。『伊夜日子』(2006)所収。(土肥あき子)




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