May 292007
夢十夜一夜は桐の花の下
西嶋あさ子
こんな夢を見た、で始まる夏目漱石の幻想的な短編小説『夢十夜』。とある一夜は桐の花の下で語られると掲句はいう。思わず本書を読み返してみたが、実際に桐の花が出てくる話しを見つけることはできなかった。掲句は単に原作の一部をなぞっているのではなく、作者のなかのストーリーの残像なのだろう。ある物語を思い出すとき、文章の一部が鮮明に浮かびあがる場合と、浮遊している一場面の印象が手がかりとなる場合がある。後者は、文字列ではない分、ひとつの物語が大きなかたまりとして内包されているわけで、その一端がほどけさえすれば、みるみる全文が暗闇から引き出される。掲句の作者のなかで語られた桐の花が象徴する一夜は一体どんな物語だったのだろう。月光のなかで震える巫女の鈴のような桐の花房を見あげて思いをめぐらせる。『夢十夜』の第一夜で、死んだら大きな真珠貝で穴を掘って埋めてくれと頼む女は、そうして「百年待って下さい」という。漱石が本書を発表した1908年から今年で九十九年。「百年はもう来ていたんだな」、第一夜はこうして終わる。それぞれの胸のなかに眠らせていた十の夜が百年の時を越えて次々と目を覚ます。桐の花は闇に押し出されるようにして咲く花である。『埋火』(2005)所収。(土肥あき子)
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