給料日。二十代での河出書房は隔週給料制、当時の文藝春秋は毎週給料が出ていた。(哲




20070525句(前日までの二句を含む)

May 2552007

 初夏のわれに飽かなき人あはれ

                           永田耕衣

の句、「飽く」を現代語的に解釈すると、飽きるの意味だから、われに飽きていない人が「あはれ」だという内容。こんな自分にも飽きないで付き合ってくれているねという、例えば糟糠の妻への愛情をひとつひねった表現かと思った。最初は。しかし、だとするとどうして「飽かざる」にしないのかと不思議に思ったのだった。自分なら「われに飽かざる人あはれ」にするのにと。耕衣は俳句の技法においては、どんなカードでも切れる人だ。系譜的には誓子門の「天狼」系というふうに知られているが、「寒雷」創刊号の巻頭二席もこの人だ。なんでも自在に出してこられる俳人が「飽かざる」にしない違和感が残った。納得が行かないので調べてみると、古語の「飽く」には肯定的に用いて「満足する」という意味がある。その意味で取ると「われに満足しない人があわれだ」という、前述とは逆の内容になる。こちらだと自分の気持ちを直截に相手にぶつけている句だ。こちらの方が作者の本意だろう。耕衣の仕掛けはまだある。「あはれ」には今の語意の「哀れ」の他に「しみじみと趣き深い」という意味もある。こうなると意味の組み合わせはますます何通りにも拡散していくようにも思える。「初夏」の働きは季節感よりも枕詞のように「われ」につながるだけだ。「おい、わかるかい、この句」と耕衣が言っている。講談社『新日本大歳時記』(2000)所載。(今井 聖)




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