大西洋の沈没船から600億円の金貨や銀貨。夢みたいな本当の話もあるもんだ。(哲




20070520句(前日までの二句を含む)

May 2052007

 覗きみる床屋人なし西日さす

                           加藤楸邨

越しをした先で、ゆっくりと見慣れない街並みを眺めながら地元の床屋を探すのは、ひとつの楽しみです。30分も歩けばたいていは何軒かの床屋の前を通り過ぎます。ただ、もちろんどこでもいいというものではないのです。自分に合った床屋かどうかを判断する必要があるのです。ドアを開け、待合室の椅子に座り、古い号の週刊文春などをめくっているうちに呼ばれ、白い布を掛けられ、散髪がはじまります。髪を切る技術はどうでもよいのです。要は主人が、必要以上に話しかけてこないことが肝心なのです。さて掲句です。「覗きみる」と言っているのですから、ただ通りすがったのではなく、頭を刈ってもらおうと思ってきたのでしょう。もし待っている人が多かったら、また出直そうとでも思っていたのかもしれません。ドアの硝子越しに覗けば、意外にも中にはだれも見えません。すいているからよかったと思う一方で、薄暗い蛍光灯の下の無人の室内が妙にさびしくも感じられます。深く差し込んだ西日だけが、場違いな明るさを見せています。床屋椅子(と呼ぶのでしょうか)も、わが身の体重をもてあますように、憮然として並んでいます。床屋の主人とは長年の付き合いなのでしょうか。月日と共にお互いに年齢を加え、外に立つ「三色ねじり棒」も、同じように古びてきました。ただ頭を刈りに来たのに、なぜか急にせつない思いに満たされ、いつもの扉が重くて開けられないのです。『昭和俳句の青春』(1995・角川書店)所載。(松下育男)




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