May 182007
蠅取紙飴色古き智恵に似て
百合山羽公
八百屋や魚屋の店頭にぶら下がってた。蠅取紙と並んで、銭を入れる笊が天井から下がっている。こちらの方はまだやってるけど、蠅取紙はなくなった。小学校三年生とき、学校の帰り道に八百屋で友達とちくわを買って食べた。買い食いは学校からも親からも禁じられていたので、秘密の決断だった。美味しかったなあ。鳥取だったので、あご(飛魚)ちくわが名産。学校の遠足で海辺のちくわ工場を見学したことがあって、木造の工場の中に蠅取紙が何本も下がっていた。製造中のちくわと蠅の関係はこれ以上書くのははばかられる。この見学のあとしばらくちくわが食べられなかった。もちろん今はそんなことはないだろうけど。この句、古き智恵は蠅取紙のごときものだ、というふうに解釈すると、「古き」を嗤うアイロニーに取れる。僕は「飴色」の方に重きを置きたい。古い智恵は飴色をしている。そう思うとこの琥珀色はなかなかの重厚な色合いだ。しかも蠅まで捕るのだから捨てたものではない。講談社『新日本大歳時記』(2000)所載。(今井 聖)
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