↓久留米で会った見ず知らずの男の子。「オレ、ツヨソーダロー」と威張ってた。(哲




20070514句(前日までの二句を含む)

May 1452007

 麦秋の人々の中に日落つる

                           吉岡禅寺洞

後平野の「麦秋」を見てきた。博多から鹿児島本線で南下して久留米に至る間の景色だから、正確にはちょっぴり佐賀平野も含まれるのかもしれないが、ともかく東京などでは見られない有無を言わせぬ広大な面積の麦の秋だった。作者は福岡の人だったので、句の情景もこのあたりのものだろうか。大勢の人々が麦刈りにいそしむ夕景だ。広大な麦畑の彼方で、日が没しようとしている。その広大さは「人々の中に」という措辞に暗示されているのであって、澄んだ初夏独特の空気もまた、同時に詠み込まれている。巧みな表現と言わざるを得ない。そして秋の落日とは違い、この季節にはゆっくりと日が没してゆくので、たとえばミレーの「落ち穂拾い」のような寂寥感はないのである。むしろ逆に、明日もまた明るくあるだろうという気分のする句であって、そこもまた心地よい作品だ。ご存知とは思うが、吉岡禅寺洞は無季句を提唱し、結社「天の川」を主宰、昭和11年に日野草城、杉田久女とともに「ホトトギス」、すなわち虚子から除名された俳人だ。掲句はそれ以前のものと思われるが、この句からもわかるように、「ホトトギス」にとっては口惜しくも惜しまれる才能であったには違いない。『俳諧歳時記・夏』(1951・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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