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20070507句(前日までの二句を含む)

May 0752007

 川蝉の川も女もすでに亡し

                           佐藤鬼房

語は「川蝉(かわせみ・翡翠)」で夏。京都野鳥の会の川野邦造氏が「翡翠の夏の季語は解せない」として、「冬枯れの川べりをきらりと飛ぶ姿は夏以上に迫力がある」と「俳句界」(2007年5月号)に書いている。私もかつて多摩川べりに暮したので、冬の翡翠もよく知っているし賛成だ。ただ古人が夏としたのは、新緑の水辺とのマッチングの美しさからなのだろう。この句は作者還暦のころの作と思われるが、若い読者は通俗的な句として受け取るかもしれない。なにせ、道具立てが整い過ぎている。眼前を飛翔する川蝉の美しい姿に、ともにあった昔の山河もそして「女」もいまや亡しと、甘く茫々と詠嘆しているからだ。しかし私は、こうした通俗が身にしみて感じられることこそが、老齢に特有の感覚なのだと思う。ごくつまらなく思えていた諺などが、ある日突然のように身にしみてその通りだなと感じられたりもする。老齢、加齢とは、かなりの程度で具体的に通俗が生きられる年齢のことではあるまいか。若さは川蝉のようにすばしこく感性や神経を飛ばせるけれど、老いはそのような飛ばし方にはもう飽き飽きして、とどのつまりはと世間の通俗のなかに沈んでいく。格好良く言い換えれば、無常感のなかに没することを潔しとするのである。したがって、この句にジーンと来た読者はみな、既に老境に入っているはずだというのが、私の占いだ(笑)。『朝の日』(1980)所収。(清水哲男)




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