本日は「俳句界」の見本が届く日なので、普通の月曜日とはいささか気分が違う。(哲




20070423句(前日までの二句を含む)

April 2342007

 師系図をたぐりし先や藤下がる

                           三輪初子

七で「あれっ」と思わされる。一般的に言って、系図や系統図は「たどる」ものであって「たぐる」ものではないからだ。両者を同義的に「記憶をたぐる」などと使うケースもなくはないけれど、「たぐる」は普通物理的な動作を伴う行為である。つまりここで作者は「師系図」を物質として扱っているのであり、手元のそれを両手で「たぐり」寄せてみたところ、なんとその先には実際の「藤(の花房)」がぶら下がっていたと言うのだ。この機知にはくすりともさせられるけれど、よくよく情景を想像してみると、かなり不気味でもある。たとえば子規や虚子の系統の先の先、つまり現代の「弟子」たちはみな、人間ではなくて群れ咲いている藤の花そのものだったというわけだから、微笑を越えた不気味さのほうを強く感じてしまう。だからと言って掲句に、師系図に批判的な意図があるのかと言えば、そんな様子は感じられない。二次元的な系統図を三次元的なそれに変換することを思いつき実行した結果、このようないわばシュール的な面白い効果が得られたと見ておきたい。この句は作者の春の夢をそのまま記述したようにも思えるし、現実の盛りの「藤」にも、人をどこか茫々とした夢の世界へと誘い込むような風情がある。『火を愛し水を愛して』(2007)所収。(清水哲男)




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