東京の桜が開花したと気象庁発表。ウチの近所はまだのようですけれど。(哲




20070321句(前日までの二句を含む)

March 2132007

 つくしが出たなと摘んでゐれば子も摘んで

                           北原白秋

会では、こんな句に点は入らないだろう。八・六・五という破調のリズムはあまりしっくりとこない。春になった! やあ、つくしが出た。摘もう、摘もう!――そんなふうに弾むこころをおさえきれずに野に出て、子どもたちと一緒になってつくしを摘む。つくしが出た、それを摘む人もたくさん出た。春がきた。そんなワクワクした情景を技巧をこらすことなく、構えることなく素直に詠んでいる。「うまい俳句を作ろう」などという意識は、このときの白秋には皆無だったにちがいない。いや、わざと「俳句」のスタイルにはとらわれまい、と留意したとさえ思われる。童謡を作るときのこころにかえっているようだ。白秋はもちろん定形句も作っているが、自由律口語の句も多い。「土筆が伸び過ぎた竹の影うごいてる」「初夏だ初夏だ郵便夫にビールのませた」「蝶々蝶々カンヂンスキーの画集が着いた」等々。俳人諸氏は「やっぱり詩人の句だ」と顔をしかめるかもしれないけれど、この自在さは愉快ではないか。われも子も弾んでいる。スタイルよりも詠みたい中身を優先させている。白秋は室生犀星を相手に、次のように語っている。「発句は形が短いだけに中身も児童の純真が欠かせない。発句にはそれと同時に音律の厳しさがある。七五律はちょっと甘い。五七律をこころみてみたい」。白秋の口語自由律俳句には、気どらない「児童の純真」が裏付けされている。ところで、白秋のよく知られた詩「片恋」全六行は、それぞれ五・七・五となっている。「あかしやの金と赤とがちるぞえな。/かはたれの秋の光にちるぞえな。/片恋の薄着のねるのわがうれひ。/(後略)」『白秋全集38』(1988)所収。(八木忠栄)




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