東京は風の強い日が続いています。当地の春の特長ではありますが、難儀なことで。(哲




20070319句(前日までの二句を含む)

March 1932007

 惜春のサンドバッグにあずける背

                           夏井いつき

語は「惜春(春惜しむ)」。「暮の春」「行く春」と大差はないが、詠嘆的な心がことば自体に強くこもっている。一種物淋しい悼むような情を含む、と手元の歳時記の解説にある。そういえば、木下恵介に『惜春鳥』という男同士の物淋しくも切ない友情を描いた作品があった。おそらくは、夕暮れに近い日差しが窓から差し込んでいるボクシング・ジムである。トレーニングに励んでいた若者が、束の間の休息をとるために、今まで叩きつづけていたサンドバッグにみずからの背をそっとあずけた。よりかかるのではなく、あくまでも「そっと」あずけたのだ。その様子には、さながら相棒のようにサンドバックをいとおしむ気持ちがこもっており、心地よい疲労を覚えている若い肉体には、充実感がみなぎっている。そんな光景を目撃したか、あるいは思い描いた作者は、その若者の心身のいわば高まりのなかに、しかし早くも僅かに兆しはじめている衰亡の影を見て取ったということだろう。そのことが行く春への思いを、もっと物淋しい「惜春」の情にまで引き上げたと言える。この「惜春」と「サンドバッグ」の取り合わせは、なかなかに秀抜な絵になっていて、私はすぐに、ちばてつやの描いた名作『あしたのジョー』の一場面を思い出したのだった。『伊月集「梟」』(2006)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます