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March 1332007

 流木は海の骨片鳥帰る

                           横山悠子

鳥が北へと帰る頃になると、わたしの暮らす東京の空にも、黒いすじ雲のような鳥たちの姿を見ることができる。桜の便りと雪の便りが同時に届く今年のような妙な気候では、出立の日を先導するリーダー鳥はさぞかし戸惑っていることだろう。長い旅路は海に出てからが勝負である。空に渡る黒いリボンは、大きくターンするたびに翼の裏の真っ白な羽を見せ、手を振るようにきらきら光りながら、海の彼方へと消えていく。幾千の命を生み、また幾千の命の終焉を見てきた母なる海にとっては、海原の上を通うちっぽけな鳥影も、進化を重ね、わずかに生き延びることができた血肉を分けたわが身であろう。小さな鳥たちの影を、また落としていった幾本かの羽毛を、波はいつまでも愛おしんで包み込む。打ち上げられた流木を波が両手で転がし、惜しむように洗ってゆく。海は大きな揺りかごとなって、いつまでもいつまでもその身を揺らす。太古から存在する海、大樹であった流木の過去、鳥たちの苦難の旅など、掲句はひと言も触れずに、すべてを感じさせている。こうした俳句の読み方は、時としてドラマチックすぎると思われるだろう。しかし、ひとつの流木を見て作者に浮かんだイメージは、十七文字を越えて読者の胸に飛び込んでくる。一句の持つ力にしばし身をまかせ、去来する物語りに身をゆだねることもまた俳句を読む者の至福の喜びなのである。『海の骨片』(2006)所収。(土肥あき子)


September 1892007

 道なりに来なさい月の川なりに

                           恩田侑布子

に沿って来いと言い、月が映る川に沿って来いと言う。それは一体誰に向かって発せられた言葉なのだろう。その命令とも祈りともとれるリフレインが妙に心を騒がせる。姿は一切描かれていないが、月を映す川に沿って、渡る鳥の一群を思い浮かべてみた。鳥目(とりめ)という言葉に逆らい、鷹などの襲撃を避け、小型の鳥は夜間に渡ることも実際に多いのだそうだ。暗闇のなかで星や地形を道しるべにしながら、鳥たちは群れからはぐれぬよう夜空を飛び続ける。遠いはばたきに耳を澄ませ、上空を通り過ぎる鳥たちの無事を祈っているのだと考えた。しかし、その健やかな景色だけでは、掲句を一読した直後に感じた胸騒ぎは収まることはない。どこに手招かれているのか分からぬあいまいさが、暗闇で背を押され言われるままに進んでいるような不安となり、伝承や幻想といった色合いをまとって、おそろしい昔話の始まりのように思えるからだろうか。まるで水晶玉を覗き込む魔女のつぶやきを、たまたま聞いてしまった旅人のような心もとない気持ちが、いつまでも胸の底にざわざわとわだかまり続けるのだった。〈身の中に大空のあり鳥帰る〉〈ふるさとや冬瓜煮れば透きとほる〉『振り返る馬』(2006)所収。(土肥あき子)


April 2242008

 掃除機は立たせて仕舞ふ鳥雲に

                           杉山久子

集には同じ季語を使った〈あをぞらのどこにもふれず鳥帰る〉という叙情的な魅力ある句もおさめられているが、掲句により惹かれるのは、それぞれの居場所ということについて唐突に考えさせられるところだ。掃除機は毎日使用されるものだが、その収納場所、おそらくそれはどの家庭でも部屋のどこかの片隅にすっきり納められたところで、生活空間が戻ってくる。春のある日、彼方へと飛び立つ鳥たちの姿を思い、鳥もまた雲へと消えたところが、正しい収まりどころであるかのような、漠然としたやりきれないわだかまりが、ほんのちらっと作者の胸をよぎったのだろう。その「ほんのちらっと」思う心が、年代や性別を越えて重なり合うことで、俳句にはさざなみのような共感を生まれる。壮大な自然の営みや、日常の瑣末な空虚感などにまったく触れることなく、しかしそれはいつまでも揺れ残るぶらんこのように、心の中に存在し続ける。「藍生」「いつき組」所属している作者の第二回芝不器男俳句新人賞の副賞として出版された本書は、写真との組み合わせで構成され、美しく楽しく値段も手頃。〈人入れて春の柩となりにけり〉〈白玉にやさしきくぼみあれば喰む〉『春の柩』(2007)所収。(土肥あき子)


June 1762008

 標本へ夏蝶は水抜かれゆく

                           佐藤文香

虫が苦手なわたしは、掲句によって初めて蝶のHPで採取と収集の方法を知った。そこにはごく淡々と「蝶を採取したら網の中で人差し指と親指で蝶の胸を持ち、強く押すとすぐ死にます」とあり、続いて「基本的に昆虫類の標本は薬品処理する必要がありません。日陰で乾かせばすぐにできあがります」と書かれていた。こんな世界があったのだ。虫ピンというそのものズバリの名の針で胸を刺され、日陰でじっと乾いていく蝶の姿を思うと、やはり戦慄を覚えずにはいられない。掲句はこの処理の手順を「水抜かれ」のみで言い留めた。命、記憶、痛み、恐怖のすべてを切り捨て、唯一生の証しであった水分だけで全てを表現した。出来上がった美しい標本を眺めながら考えた。丸々太った芋虫から、蛹のなかで完全にパーツを入れ替え、全く別な肢体を得る蝶のことである。今までの劇的な変化を考えれば、水分をすっかり抜かれることくらい造作もないことで、永遠の命を得るために標本への道を、蝶が自ら選択しているのではないのかと。〈朝顔や硯の陸の水びたし〉〈へその緒を引かれしやうに鳥帰る〉『海藻標本』(2008)所収。(土肥あき子)


March 2532010

 犬の途中自分の途中花ふぶく

                           渋川京子

年この時期になるとどこの花を見に行こうか心が浮き立つ。うららかな空に満開の桜を仰ぐも束の間、強い風に舞っていっせいに桜が散る。あ、もったいないと思いつつ向かい風に花ふぶきを受けながら歩く豪華さはこの季節ならではのもの。この「途中」はいま花吹雪に向かって歩いている犬と自分の状態とともに、おおげさに考えるなら人生の途上ともとれるだろう。数十年生きてきた大人も生まれたての赤ちゃんも誰もが「いま」は人生の途中。隣にならんでいる犬だって、犬として生きている途中であることに変わりはない。いっせいに桜が舞う瞬間、犬とわたしの時間が交差する。犬がわたしであり、わたしが犬であるような親近感とともに何かに誘われて犬とともにここにある偶然の大きさを感じさせる句でもある。てくてくと行きつく先はどこなのかわからないけど、今ここで犬とともに受ける花吹雪がまぶしい。「眼鏡拭く引鳥千羽投影し」「さくら餅たちまち人に戻りけり」『レモンの種』(2010)所収。(三宅やよい)


March 1032014

 三月十日も十一日も鳥帰る

                           金子兜太

句で「厄日」といえば九月一日関東大震災の日を指すことになっているが、この日を厄日と呼んだのは、私たちはもうこれ以上の大きな災厄に見舞われることはないだろうという昔の人の気持ちからだったろう。そうでないと、いずれ歳時記は厄日だらけになってしまうし……。ところが、関東大震災以降にも、人災天災は打ち止めになることはなく、容赦なく人間に襲いかかってきた。掲句の「三月十日」は東京大空襲の日であり、「三月十一日」は三年前の東日本大震災の起きた日だ。残念ながら、厄日は確実に増えつづけている。しかし人間にとってのこうした厄日とは無関係のように、渡り鳥たちは何事もなかったかのごとく、遠い北国に帰って行く。彼らにはたぶん必死の旅であるはずだが、災禍の記憶のなかにある人間たちは、飛んでゆく鳥たちを眺めてその自由さを羨しく思ったりするのである。だが人間と自然との関係は、人間側の勝手な思い込みだけでは、上手に説明できないだろう。これは永遠の課題と言えようが、作者はそのことを人間の側に立ちながらも冷静に見つめている。「海程」(2011年10月号)所載。(清水哲男)




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