昨日今日と深大寺のダルマ市。暇ができたら行ってみよう。名物のソバは苦手だが。(哲




20070304句(前日までの二句を含む)

March 0432007

 巻き込んで卒業証書はや古ぶ

                           福永耕二

のめぐり合わせで、わたしは卒業式というものにあまり縁がありません。高校の卒業式は、式半ばで答辞を読む生徒(わたしの親友でした)が、「このような形式だけの式典をわれわれは拒否します」と声高々と読み上げ、舞台に多くの生徒がなだれ込み、そのまま式は中止になりました。時代は七十年安保をむかえようとしていました。そののち大学にはいったものの、連日のバリケード封鎖で、構内で勉強する時間もろくに持たないまま4年生になり、当然のことながら卒業式はありませんでした。学部の事務所へ行って、学生証を見せ、食券を受け取るように卒業証書をもらいました。実に、悲しくなるほどに簡単な儀式でした。式辞も、答辞もありません。高らかに鳴るピアノの音もありません。窓から見える大きな空もありません。薄暗い事務室で、学部事務員と会話を交わすこともなく、卒業証書を巻き込んで筒に入れて、そそくさと高田馬場駅行きのバスに乗り込みました。後に考えればその当時は、時代そのものの卒業であったのかもしれません。掲句、わたしの場合とは違い、卒業証書には、きれいに込められた思いがあるようです。証書はきつく巻き込むことによって、すでに細かな皺がよります。皺がよったのは証書だけではなく、それまでの日々でもあります。卒業した身を待っているのは、筒の中とはあきらかに違う世界です。「古ぶ」と、決然と言い放つことによって、これからの時間がさらにまぶしく、磨かれてゆくようです。『角川俳句大歳時記 春』(2006・角川書店)所載。(松下育男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます