G黷ェ~~句

February 1922007

 手に受けて少し戻して雛あられ

                           鷹羽狩行

誌にこの作者の句が載っていると、必ず真っ先に読む。何でもないような些事をつかまえる名手ということもあるが、単に巧いというだけではなく、句の底にはいつも暖かいものが流れていて、そこにいちばん魅かれているからだ。とくに心弱い日には、大いに癒される。揚句でも、まさに何でもない所作を詠んでいるだけだが、作句の心根がとても優しく温かい。雛あられを受けるときには、自然に両掌を差し出す。こぼしてはいけないという配慮の気持ちもあるのだけれど、そこには同時に人から物をいただくときの礼儀の気持ちが込められている。すると領け手の側は、その礼儀に応えるようにして、これまた自然な気持ちから両掌いっぱいに雛あられを注ぐのである。そういうことは句のどこにも書かれてはいないが、「少し戻して」という表現から、読者はあらためてこの日常的な礼節の交感に気づかされ、そこに何とも言えない暖かさを感じ取るというわけだ。ひとつも拵え物の感じがしない、こねくりまわしていない。けれども、人のさりげない所作の美しさにまで、きちんと錘がおりている。天賦のセンスの良さがそうさせたのだと言うしか、ないだろう。掲載誌より、もう一句。<まんさくの一つ一つの片結び>。「俳句研究」(2007年3月号)所載。(清水哲男)




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